「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2」50代男性へのおすすめ度
★★★☆☆ ← 50代男性が読むと新しい発見があるはず
あらすじ
内容紹介(「BOOK」データベースより)
「ぼく」は13歳になった。そして親離れの季節がやってきたー80万人が読んだ「一生モノの課題図書」、ついに完結目次(「BOOK」データベースより)
1 うしろめたさのリサイクル学/2 A Change is Gonna Come -変化はやってくる/3 ノンバイナリーって何のこと?/4 授けられ、委ねられたもの/5 ここだけじゃない世界/6 再び、母ちゃんの国にて/7 グッド・ラックの季節/8 君たちは社会を信じられるか/9 「大選挙」の冬がやってきた/10 ゆくディケイド、くるディケイド/11 ネバーエンディング・ストーリー
キーワード
思春期の入り口
感想
今回も勉強になり、考えさせられました!
本書の作者「ブレイディ みかこ」さんの作品を読んだのは、
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2」で3冊目です。
1冊目は「ワイルドサイドをほっつき歩け」、
2冊目は「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」です。
本書は「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の続き、第2巻です。
第1巻同様、第2巻も主人公はイギリスの中学校に通う作者の息子さんで、
日常生活や中学校でのトラブルなどが、母と息子の会話で語られます。
このトラブルの内容、
日本の中学校ではちょっと考えられない社会性(人種差別やLGBTQ)を帯びています。
「日本も将来こうなるのか」という漠然とした不安とともに文章を読み、
考えさせられ、覚悟しないといけないなと思わされるエピソードがたくさん書かれています。
ですが、正直言って第2巻、第1巻ほどの衝撃はありませんでした。
この第2巻だって普通に面白く勉強になったのに、第1巻と比べると薄く感じてしまいました。
それは、「第1巻のインパクトがものすごかった」ため、
提示されるトラブルの根深さ・問題の悩ましさに免疫がついてしまったためだと思います。
第1巻は、私にとってものすごくインパクトのあるノンフィクションでした。
なので、まだ第1巻を読まれていない方は、第2巻の前にご一読されることをお勧めします。
■第1巻の私のブログはこちら >> ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
とは言え、第2巻にも、勉強になることがたくさん書かれています。
この後の「私が気に入った文章」で、第2巻の引用とともに、
勉強になったところや、考えさせられた事を具体的にご紹介させていただきます。
私が気に入った文章
不用品のリサイクルにも心を使ってしまう繊細さ
「『あげる』っていうのと『リサイクルする』っていうのはまた違うと思うよ。・・・」
(中略)
「・・・、これもリサイクルなんだから、不要なものは世の中に流せ、っていう、とりあえずその感覚だけでやったらいいんじゃないかな」
(16ページ)
中学生の心はやっぱり、おっさんとは違います!
あたり前だけど、中学生は繊細なんです。
中学生の息子さんは、
不用品(小さくなった服)をみつけて袋に入れてリサイクルに出すだけなのに、
不用品を受け取る人のことまで考えてしまい、作業がストップしてしまいました。
作業している間に、息子さんの中でリサイクルに出す不用品が、ゴミになってしまったのです。
「ゴミを袋に入れている感覚」になってしまい、僕はゴミをあげようとしているんだ、
「このゴミ = 不用品を受け取る人はどんな気持ちになるだろう」と考え込んでしまったのです。
息子さんの中で、「あげる」と「リユース」がごっちゃになってしまったのです。
このことをすぐに察して、息子さんの考えを受け止め、
また作業を再開できるように促すことのできる母親(作者さん)、すごいなと思いました。
中途半端な理解がまわりをイラ立たせる
「ヒジャブは女性への抑圧と差別のシンボルだから、一国のリーダーならよけいに被ってほしくない。・・・」(28ページ)
(中略)
「・・・。母ちゃんが日本人だって言ったら、たまに胸の前で手を合わせてお辞儀する人いるじゃん。・・・。ただ彼らには日本人はああいう風にするっていう、ぼんやりしたイメージがあるんだ」(30ページ)
これって自分もやっちゃいそうな・やっているような気がしたので、取り上げてみました。
深く考えずにイメージ先行でマネしてしまうと、傷つく人がいる。
あたり前のことなんだけど、忘れてしまいがちなことです。
簡単によその国の風習をマネしてはいけないと、あらためて自分に言い聞かせました。
今どき梶井基次郎って
それでなくとも黒人の少ない学校だから目立っているのだが、彼らのカラフルなファッションはそこだけ別世界のようだった。陰気な色彩の列の中で、そこだけ原色に輝いている。
梶井基次郎が丸善の棚に置いて来た檸檬の色ってこんな感じだったんだろうかとふと思った。(33ページ)
「今の時代に、梶井基次郎の檸檬を引き合いに出す人っているんだ」と、
思わず笑ってしまいました。
いまどき、梶井基次郎の小説を読む人っているのだろうか?
高校の国語の教科書に「檸檬」が載っていたように思いますが、それも35年以上前のことです。
文庫本を買って読んだのは大学生の頃だったと思います。
久方ぶりに聞いた名前と作品名だったので、取り上げてみました。
俺のようになるなよ
俺のようになるなよ。
この台詞は、ユニバーサルに、そしてタイムレスに、労働者階級の父親が子供に説教するときの決まり文句に違いない。(47ページ)
(中略)
「『俺のようになるな』って、そういうことを子供に言わなくちゃいけない父ちゃんの気持ちを考えると、なんか涙が出てきちゃって・・・・・・」
(中略)
「・・・。ただなんか、あのシチュエーションは悲しかった。言ってる父ちゃんも、言われてる僕も、悲しい」(48ページ)
これらの文章を読むと、作者の息子さんは優しい心の持ち主なんだと思います。
「俺のようになるな」は、悲しい言葉なんですね。
みなさん、なるべく使わないようにしましょう。
自分の子供を泣かせてしまうことになるかもしれませんよ。
ノンバイナリー
「他の先生みたいに、ミスターとかミスとかつけなくて呼び捨てでいいのか」(父親)
「だって、つけたらノンバイナリーじゃなくなるでしょ」(息子)
「そりゃそうだな」(父親)(51ページ)
「ノンバイナリー」という言葉をはじめて聞いたので、取り上げました。
本書に「ノンバイナリー」の説明がありましたので引用します。
「第三の性」とも表現されるこの言葉は、男性でも女性でもない、性別に規定されない人々のことを表す。
ということだそうです。
私が中学生の頃は、LGBTQを意識させる有名人は「おすぎとピーコ」さんくらいしかいなかったけど、今は沢山の人を思い浮かべることができます。
そこにプラスして「ノンバイナリー」ですか。
どんどん複雑で厄介な世の中になりますね。
世界共通の問題なのか
「生理用のナプキンをいつでも女子生徒たちに配布できるようにしたい」
(社会活動に熱心な中学校の先生のことば)(55ページ)
「生理の貧困」は、イギリスの中学校でも深刻な問題となっています。
「生理の貧困」とネットで検索してみたら、
元はイギリスでの調査が発端で広く知られるようになったとありました。
日本でも問題だとされている「生理の貧困」。
おそらく、イギリスと日本だけで問題となっているわけではない、
「もはや、世界中の国々の共通問題なのかもしれない」と感じました。
気になる方は、55ページから56ページの文章を読んでみてください。
ゼロ時間契約
2019年のカンヌ映画祭で話題になったケン・ローチ監督の新作『Sorry We Missed You(家族を想うときとき)』も、配送業の個人下請けドライバーの家族が貧困に苦しむ姿を描いたものだった。(85ページ)
イギリスでは、失業者たちに起業することを勧めていて、
中には、意に染まない起業を強いられた人々も多くいるそうです。
そんな人々が、ゼロ時間契約をさせられて、相対的貧困に陥っているという事実もあるようです。
近い将来、日本もそうなりそうな気がして怖くなりました。
現に、引用した「配送業の個人下請けドライバー」の労働環境については、
日本でも問題になっています。
イギリスの自営業者の問題については、84ページから85ページにかけて、
現状を教えてくれている文章がありますので、読んでみてください。
結構深刻な状況にあることが分かります。
ここの部分、私はとても勉強になりました。
湯布院は、国際色豊かな温泉街
日本はまだ移民国家ではないから、これから英国の後を追うことになる。
幾度となくそういう話を聞いてきたものだが、今回、驚いたのは、温泉街はすでに英国みたいになっているということだった。
(中略)
・・・従業員の全員が、とても日本語が上手な中国から来た若い女性たちだった・・・。
しかも、彼女たちの多くが英語も操れ、・・・英語で応対してくれる。
田んぼが広がる山の麓の温泉街がいきなり国際色豊かになっていて、従業員の大半が外国語訛りの英語を話すロンドンあたりのホテルと同じ状況になっているのだ。
(103ページ)
そうなんですね。湯布院はそんなことになっているんですね。
日本のことなのにちっとも知りませんでした。
そういえば私の生活圏でも、外国人労働者が増えています。
カレー屋さんのオーナーや従業員、解体工事の作業員、道路工事の誘導員など。
「日本人だけで、すべての仕事を賄える時代」ではなくなりました。
若い出稼ぎ外国人の人たちがもっと増えて、日本をふたたび活気づけてほしいと切に願います。
日本でたくさん稼ぐと同時に、税金をたくさん払ってもらい、
インバウンド需要をもっと高めてほしいです。
日本人だけでそれを行うのはとても難しいように思いますから。
気まずい時のとっさの行動
向こうも私の顔に見おぼえがあったのだろう、ハッと驚いたような顔をして、とっさに反対側に顔を向けた。(中略)
わたしは黙って顔を下に向け、急いでその場から立ち去った。(149ページ)
こういうシチュエーションってありますよね。
見てはいけないところを目撃してしまって、見られた方も、見た方も気まずくなってしまうこと。
で、見られた方はとっさに顔を背けたり、見た方は顔を下にして足早に歩き去ったりします。
こういう「私はいま気まずく思っています」という時の行動って、
人種を問わず世界共通の行動なんだなと、引用した文章を読んであらためて思いました。
「態度でしめそうよ、ほらみんなで手を叩こう」という歌詞があるように、
「言葉を交わさなくても、態度で伝わる」ことって案外多いのかもしれないですね。
ラフ&タフ
「だから、あいつもそうなってきたんじゃないの?」(父親)
「えっ?」(母親)
「俺らに似てきたっていう意味じゃなくて、大人になってきたって意味で」(父親)
「・・・・・・」(母親)
「ラフ(粗雑)とかタフとかってのは、大人になるにつれ身に付く性質だから」(父親)
(159ページ)
友達に人種差別的なジョークをあびせられた息子の反応が薄かった、
感情的にならなかったし、言い返しもしなかったことを心配する母親と、
逆に頼もしくなったと感じた父親の会話です。
「相手の言葉を受け流す」って大事なスキルですよね。
「まあいいや」ってね。
こういう夫婦の会話を聞いていると、
二人とも思春期の息子の成長に「ちょっとおいてかれてるんじゃない」っていう思いになります。
子供の成長にハッとさせられた時が、いちばん子育てで楽しい瞬間だったりします。
成長しきってしまうと、ハッとさせられることも少なくなってしまいますから、
「いまを楽しんでください」とブレイディみかこさんにお伝えしたいです。
このように、
第2巻にも、勉強になったところや、考えさせられた事がたくさんありました。
今回は、50代男性が読むと新しい発見が期待できる
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2」を紹介しました。
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2」の前に出版された、
第1巻の「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」も私のブログで紹介しています。
下記の画像をクリックしてぜひ併せて読んでみてください。
【ブレイディみかこさんのノンフィクション】