「少女を埋める」50代男性へのおすすめ度
☆☆☆☆☆ ← 50代男性は読まなくていい
あらすじ
内容紹介(「BOOK」データベースより)
出ていかないし、従わない。
因習的な故郷に、男性社会からのいわれなき侮蔑に、
メディアの暴力に苦しめられた時に、
「わたし」はいつも正論を命綱に生き延びてきたー。
理不尽で旧弊的な価値観に抗って生きる者に寄り添う、勇気と希望の書。
著者初の自伝的小説集。目次(「BOOK」データベースより)
少女を埋める/キメラ/夏の終わり
キーワード
田舎、葬儀
感想
狭い世界の話を聞かされてうんざり
こんな本を出版するのはおかしいと感じたので、思いっきり批判させていただく。
素直に書くと、狭い世界の話を聞かされてうんざり。
作者の主観が盛りだくさんの「自伝的な小説」と、
その「自伝的な小説」の書評をめぐる出来事を書いた本。
作者の本を一度も読んだことのない方、
もっと言えば、作者のファンでないのなら「少女を埋める」は読まない方が良い。
私は、作者のことは何も知らず、予備知識ゼロで読み始めたのでつまらなかった。
2編目「キメラ」の途中、
182ページまで読んで「もういいや」という気持ちになって読むのをやめました。
1篇目「少女を埋める」
共感できたのは、
肉親の看取りと葬儀の経験から、過去の家族とのやり取りを邂逅するあたりまで。
自己の悲しい体験を綴っていたのに、最後、社会の偏見について持論を展開し、
「弱者にやさしい社会でないといけない」として終わる。
具体的には、
「LGBTにもっと理解をしめさないといけない」や、
「共同体は個人の幸福のために、社会はもっとも立場の弱い者をみんなで支えるために存在すべきだと。」(130ページ)
の持論を展開する。
これら(看取り・葬儀からLGBT・個人の幸福へ)の脈絡が、
あまりにも無理やりすぎて、何コレと思ってしまった。
2篇目「キメラ」
作者がつまらない誤解を誘導している気がしてイヤになった。
2編目「キメラ」では、「少女を埋める」の書評に対する作者の反論が展開されます。
「虐め」が、あったと書評する人たちと、ないとする作者の対立が時系列で綴られます。
途中で、182ページまで読んでやめたから、そこまでの感想になりますが、最悪でした。
私の主観たっぷりの感想を書かせてもらうと、
漢字で「虐め」と記述するのはどうかなと思いました。
1篇目の「少女を埋める」に、「虐め」という単語を使った記述があります。
「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。
ごめんなさい、ごめんなさいね・・・・・・」と涙声で語りかけ始めた。
「お父さん、ほんとにほんとにごめんなさい・・・・・・」と繰り返す声を、
ぼんやり寄りのポーカーフェイスで黙って聞いていた。
内心、(覚えていたのか・・・・・・)と思った。(75ページ)
作者は、「身内の嫌がらせ程度の意味で『虐め』と書いた」らしいのだが、
それなら、ひらがなで「いじめ」と書いた方が良かったと思う。
私自身、本文の中に「虐め」の文字を見たとき、アレっと思った。
虐待があったのかな? と思った。
看病していた人の発言として「虐めたね」と使っているから余計に。
「虐め」という言葉は、今の時代「かなり慎重に使わないといけない言葉」と感じている。
看病していた人が語った「虐め」という言葉なので、
とても重く・深い意味があるように読んだ。
「少女を埋める」ではその後、どんな「虐め」があったのか、
具体的な内容の記述・説明がないまま終わってしまった。
私としては消化不良であった。
「なんの説明もなかったな」という
残念な気持ちのまま「少女を埋める」は終わってしまった。
2編目の「キメラ」では、相変わらず作者と
「少女を埋める」の書評を発表した人たちが対立している。
そんな中、作者と同じ故郷出身の男性からtwitterにツイートがある。
「『虐めたね』の部分は、同郷で育った自分が読むと
『いっぱい困らせたね。ひどく嫌な思いをさせちゃったね』というニュアンスと感じる」
「方言に言い換えると
『お父さん、(中略)ごめんなー、許してごしないや』とずいぶん柔らかい物言いに。
伝わるかな」
このツイートを受けてはじめて、作者が、
故郷での「虐め」のニュアンスを対立者に伝えるのが気にくわなかった。
「『虐め』という言葉のニュアンス・とらわれ方が作者の故郷ではちょっと違うんだよ。」
というのであれば、はじめから作者の故郷の方言で表現するべきと考える。
標準語で書くから誤解が生まれる。
両者の対立が始まって、だいぶたってから
故郷の「虐め」のニュアンスを他人に語らせるのは卑怯と感じた。
はなから対立相手に伝えていたら、
そもそも「少女を埋める」の中で読者に説明していたら、
本文のような展開にはならなかったと思う。
作者がはじめから、
対立を深めることを望んで話を進めていったように感じてならなかった。
ーーー
実は私、この時点では「この小説は、新たな手法のミステリー小説」だと思っていました。
この小説はフィクションであり、
「虐め」は何かのトリックワードなのだろうと思って読んでいました。
読者をわざとミスリードする作風で書いており、このあと謎が解明されると勘違いしていました。
この作者は頭いいなと思って、先の展開を楽しみにしていたくらいでした。
そんな自分が今は恥ずかしい。
ーーー
看病していた人に「虐め」と発言させておいて、
「虐待はなかった」と反論するのはどうかと思った。
だったら、はじめから「いじわる」と書けばいいのに。
ホントにプロの作家なのこの人?
結論
読者は文章を受け取るだけ
(自分で書いたわけではないから、作者の言いたいことすべてを完璧に理解できるはずがないの)
だから、誤解されるような書き方をした作者が悪い。
今回は、50代男性は読まなくていい小説「少女を埋める」を紹介しました。